20160611
ずっとしてなかった野営をしようと思い立ち、というか単純にたき火がしたくなり今度の休みにキャンプに行くことにした。
越川さんからまわってきて、なんとなく山下澄人さんの劇団ブログを読んでいる。
「解散とか何だとかそういうのは邪魔くさいのでいいません。なるようになるのでしょう。ならないのでしょう。
しかしまだわたしたちは生きています。二酸化炭素を吐き続けています。なのでまあお互い生きてましょ。
みたいな。
暑いし。けど寒いと困るし。夏だし。
ちなみに透析者として一部では有名な荻田はまだ生きてます。
あ、ぼく、芥川賞の候補だったんですよ。笑うでしょ。世の中はチョロいのです。」
胸をざわざわと掻き立てられるような、いじられるような文章だと思った。
野営をしたいと思ったのは、蛍光灯の灯りに嫌気がさしたからだ。
最近どこもかしこも明るくないですか。夜もこうこうと照っているし、なんだか世の中が眩しい。
そういえば越川さんの事務所の段ボールに「すべては夜に産まれる」と殴り書きがしてあって、夜の深さとかしんとした感じとか、ちゃんと暗い感じとか、そこから生まれるもの、言葉とか。
夜がちゃんと暗くて、そういうことを味わいたいんだろうと思う。
最近読んだ本など
小河原正已「ヒロシマはどう記録されたか」上下
宮本常一「山に生きる人びと」
茨木のり子「おんなのことば」(再読)
泉在住、木田修作夫妻による「とまり木」(天野さんより紹介)
地図帳
ヒロシマはどう記録されたか、は、これでもかってくらいの圧で読み進めるのがキツかった。