Home, sweet home

今手伝いをしているホームに、豊間の老人ホームから入所していたHさんが11日間、危篤状態だった。

土曜日の夜、帰り際部屋に行くと、ずっと目がうつろで、ほぼ意識不明の状態だったHさんが、私の問いかけに酸素マスク付きの笑顔で「おう!」と答えてくれた。

えーHさん起きたのー!?おはよーなんて、手をさすりながらしばらく様子を見て、じゃあ月曜ね!と言って帰宅した。

Hさんは、その10時間後に亡くなった。

最後に笑顔で別れられてよかった。

スタッフに看取られた。ひとりで逝ったわけではなかった。それもよかった。

地震の直後に夫を病気で亡くしたIさんは、夫が逝ってしまったのを忘れてしまい、いつも探している。彼女の時間は32歳で止まっている。だんなさんは入院中だよ、M病院にいるし帰ってくるから大丈夫、そんな顔しないで元気で待とう、と励まして納得して部屋に行き、ひとりになるとまた全てを忘れ、110番しちゃったりする。

大学の偉い先生だったYさんは、超高齢。いわき七浜の魚は天下一品、俺の歌う美空ひばりも天下一品と朗らかに言う。もう一度塩屋埼灯台に遊びに行きたいと願う。自宅の書斎は化石や石でいっぱいで、しかし今回の地震で壊れたり、割れたりしてしまったのが多い。地震の前に退所が決まっていたが、彼の誇りであったそれを見せるのが辛く、家族のかたは片付けと整理が終わるまで退所を延期している。

まあ、毎日いろいろある。

清潔と安全の為に、換気扇と窓あけ換気、エアコンでの温度管理は必須だ。

地震の日から3週間泊まりこみで朝・昼・夕食を作り続けたヘロヘロの栄養士さんは、先週の土曜にやっと家に帰ることができた。

各方面から集まっていた老人たちも、元居たホームの再開により、少しづつ慣れた場所に帰ることができている。

わたしは、いい経験をさせてもらっていると思う。