イマジン

同級生のKくんの家は戸渡で、そこは私の家から車で20分くらいの山の中で、関東から越してきたみんなで山を切り拓き、家はお父さんが建てた。
お父さんもお母さんも今で言うロハスな人たちで、食事はマクロビだったし、家にはいろんなひとたちが出たり入ったりして遊びに行けばいつも賑やかだった。
山から中学校に毎朝通うには大変な距離と道だし、送ってもらうにも家族と時間が合わない彼は、もうひとりの男の子と数学の先生と一緒に中学校のすぐ脇にある寄宿舎に住んでいた。
教育方針だったのだろう、Kくんは給食は食べず、毎朝早くに下山するお母さんが届けてくれるお弁当を持ってきていた。大きくて平べったいお弁当。

私たちはお弁当をつまみ食いさせてもらったり、Kくんも中学3年くらいになると給食の余ったパンとかおかずとかをにやにやして食べたりして適当にやっていた。

「お母さんが車でいのしし轢いちゃったから、さばいて鍋にしたんだ」とかはよくある話で、そこは外灯なんてものは勿論ないから星がすごくきれいで近い。
家には中2階があって、天窓になっていたから遊びに行ってはみんなで寝転んで空を見た。



町から山に入れば入るほど、空気もどんどん澄んできて、夏の終わりでもきんと涼しいその場所に、Kくんのお父さんは毎年夏にウクライナから白血病の子どもたちを寄せ、休養させていた。

Kくんから家のことは本人からとにかくいろいろと聞いていたし、覚え切れないくらいにいろんな活動をしていたから、当時はふうんKくんち偉いなあ、ぐらいにしか思っていなかった。

彼の家族に触れていたひとは、今回の事故できっとあの時の、中学校の時にウクライナから戸渡に休養にきていた子どもたちのことを思い出したひとは多いと思う。



そしてウクライナ白血病の子どもたちと今現在、全国のお母さんが考えていることを、私は直結して考えてはいない。

ウクライナでこうだったから日本でも、という直結的な考えには至っていない。

この考えは甘いかもしれない。でもそう思う。

農協は必死で数値を測っているし、様々な場所で様々な動きがある。知識の入れ方も違う。

わからないから不安なのでなく、わかろうとして学んでいる最中に不安にならなくてもいいという考えに至った。




ただ、傷つくのは普通に生きるひとなのよ、って彼のお母さんが言っていたことを想い出す。心も一緒だ。


そしてあの事故が起きた。

戸渡のみんなは引っ越した。線量が高めで畑はもうできない。


今思うのは、どうしてもっとあの時に感じなかったのだろう。外国から来る彼らが向かい合う現実について、どうして寄り添えなかったのだろうということ。
彼らがどんな環境にいて、どんなことを想いながら毎日を暮らし、なにを食べているのか。
今、どんな気持ちなのか。

どうして知ろうとしなかったのだろう。彼らは目の前にいたのに。

私も愚かだ。他人ごととして捉えていたのだから。同じ原子力発電所は36キロ先にあるのに。




今思うこと。
明らかに複雑な構造で、なのにもろい原子力発電を作ることが出来るのだから、なくてもいい方法を考えることも出来ると思う。
なくてもいい方法、と言うのは例えば町の収益とか、住人の雇用先とか、その辺も含めた全てのこと。

きれい事でも、そう思う。
みんなで考えてより良い結果を出せる社会になって欲しいし、私達の世代はそう動くべきだ。

県内外問わず、その怖さや痛みを経験した強みというものがあるのなら、それを私たちはフルパワーで使っていかなくてはならないのだと思う。

それは「そのひとの痛みを想像してみて、もし行動を起こしたらそのひとはどう考えるのだろう」という作業も含まれていると思う。


考える根本は一緒なのに枝分かれしてもめたり、さらに傷ついたりするひとがいるというのは、すごく哀しいし淋しい。



Imagine、想像してごらん。

あんまり聴かないでいたジョンレノンの歌詞を書くなんて思ってもみなかったことだ。