境界の町で






























『境界の町で』


「興味本位。正直に言えば、
私がはじめに福島に来たのは
興味本位からだった。」


2011‐2014
福島県浜通り、検問のある町。

たしかな描写で、
風景が、土地が、人間が、
立ち上がる。

リトルモアHPより)




岡 映里(おか えり)という東京の作家が、震災後から今に至るまでの3年間福島県浜通りにずっぽりと入り込み、書いた私小説でノンフィクション本。

発災後、筆者は自身に「自分には大切な人がいない」ことを底まで自覚する。

物語はそこから始まり「興味本位からだった。」という福島に向かいさまざまな人々と出会う。

神々の遊びを感じてしまうほど、筆者を取り巻く人間のキャラクターはそれぞれに濃く強烈で、彼らに翻弄され、のめりこんでいく。

おもな舞台は双葉郡楢葉町。淡々とした文章で、表現豊かに土地と人物が描写されている。

警戒区域」と呼ばれていたその地に筆者は通いつめ、紙の地図に歴史や土地や、ひとの面影などを書き込み、次第にその地図が擦り切れ真っ黒になってもなお、筆者は知ることをやめない。

地図だけではない。彼女自身も自身をすり減らしながら、それもいとわない。

人間はだれもが間違い、罪を犯し、転ぶ。
本に登場する人物たちはみな、その代表格のような人々だ。
元ヤクザの原発作業員(親方)、引きこもりだったY、行動すべてがはちゃめちゃな「おとうさん」。
彼らは強く鮮やかで、何があっても何度でも立ち上がる。

みずからのすべてをさらけ出し筆者に接する間違いだらけの人々を、筆者はじっと見すえ、取材し、書いた。3年かかって。

岡は現在もなお、福島に通い、その目で確かめ続けている。

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私も縁あって、彼女と震災後出会った。
福島にくるとよく一緒に出かけていた。彼女はぐいぐい地名を覚え、電話で「わがりました」と浜通弁で話していた。
出会ってすぐに行った中華料理屋で彼女がバッグから出した地図はすでにもう、折り目がつきすぎて端がやぶれ、書き込みで真っ黒だった。

私はあの地図のぼろさが忘れられない。

彼女が言った「忘れてもいいんだよ」という言葉は、彼女自身を救ったのだと思うし、身勝手に入り込んだ私も救ってくれた。



岡 映里HP



『境界の町で』感想まとめ



リトルモアブックス|『境界の町で』岡 映里






いわき市ではヤマニ書房本店・鹿島ブックセンターに『境界の町で』がおかれています。

震災の本であり、震災の本ではなく、人間と向き合った人間のお話です。