感受と甘受

3月以降、空と花を妙に見るようになった。

うえのほうや美しいものを見て、何かが変わるわけではないのにひたすら無意識に見ているように思う。

たぶん、すごく正直に言って面倒くさいのだ。

あれ以降、さまざまな問題があり、さまざまな人に出会い、さまざまに動き

さまざまに感じ

揺れ動くまま、なにも変わらない。

そして、自分はとてもごうまんな人間なのだと気がついてしまったから。

悩んでいるとき、考えこんでいるとき、アイデアが欲しいときは、視線を左上にわざと向けるといったんその悪いループはリセットされるのだという。

人は考えこむと、無意識に右上に視線を向けており、それをわざと変えることで思考のリセットを脳がはかる仕組みになっている。(出典:なんかの本)

私にとって、空や花はその働きをしているのだろうか。それとも逃げ?たぶん、逃げ。

疲れることが多い。

面倒だと思う反面、やはり疲れてもすり減っても、見たいものはみたいし、会いたい人には会いたい。聴きたいし味わいたい。

ひたすら心を閉じて目もつぶり、口を閉じて耳を塞ぐことは私にはできない。

感受がなければ生きていないと同じだ。