髪を切った

ちっこに髪を切ってもらいにいった。
自分でたちばさみで切ったというと、なんだかサイコパス的風情をかもしだしてしまうかもしれないと躊躇したけれど「切りたくなって、その勢いでたちばさみで切った」ときちんとシンプルに説明し、結局サイコパス的風情をかもしだしてしまった。

ちっこは、あいかわらずの感度の高さで、まあるくぶっこわれながらいろいろとコメントを放っていたけれど、一番驚いたのは「まだあそこやめてなかったの」と言われたことだった。

「時間止まってるんでしょ。わかるよ。わたし早く天災こないかなって思ってた、そしたらきたんだっけ。こどもの写真だけがもったいなかった、あとはすっきりした、町に戻ってきてよかった。あんたは町の子なんだから、平にもどってこないとだめになるよ、思考停止するのはあそこが時間とまってるからだよ。なにもかもが古いでしょ。あんたはあたまがいいからまだ揺れてる段階で、チャレンジしようとして叩かれるでしょ。変えることを極端に恐れてるのは、自分になにもできないと思わせて、麻痺させて、ずっといさせるためだよ。今のうちに動かないと化石になってしまう」

いや、おどろいた。私が誰にも言えずにいたこと、うまく言えなかったことをちっこはこんなにも簡単に放言してくれた。
いまの職場、わるいところではない。小さい会社で家族みたいにいろんなことがあるし、同じ釜の飯をたべて、ゆっくりとした時間やほだされるなにかがある。
ノイローゼ状態で海にあがった瓦礫のようだった私をひろい、救ってくれたのはたしかに今の職場で、素朴な人柄で、ほほをなでる海の風で、なにもなくなってしまった光景で、ひがな海でする昼寝で、花で、あの場所で私は再生した。
だからあまりみないことにしていたこと、小さくて忘れてしまいそうな、たとえばみんなエクセルが使えないこととか、ラーメンのコショーは赤いふたのコショーだとか、いつまでもあたらしいことにチャレンジしないこと、あたらしいことをしようとすると時間をおかれてしまうこと。そういうちいさいことが積もっていって、私は少しづつ考えないようになっていったのだ。


原稿がかけなかったり(これはいつものことだけれども)、新しい出会いがあったりすると必要以上にぐらぐらしてしまうのも、ここになにかヒントやきっかけがあるのかもしれないと思う。触れなさすぎたのかもしれない。

そういうことを午後にあっこちゃんに会って言ったら「わたしもはるちゃんいつ辞めるのかなって思ってた、町にすぐ戻ってくると思ってた、でも今はその時期かどうかはわからないけど、町にいたほうがいいと思う」と言ってくれてああやっぱりそうなのかと思った。

職場をやめる気はまだないし、入社するやいなや3ヶ月続かないと思っていたのにもう3年目で、とりあえず5年はがんばって働こうときめているのですぐには動かないけれど、この古さ&麻痺問題にはきちっと取り組んでいこうと思っている。

かおちゃんが「はるえ、パリにおいでよ。アメリカでもいいかもしれないし、いまの日本以外ならどこでもいいと思うけど、私もいるしパリにおいでよ」とずっと言っていてくれている。
わたしはそのうち海外にいくだろうとずっと思っていて、アメリカのけいこおばさんとダーナのところに行こうとは決めているが、パリかあ、パリもいいなあ、なにせかおちゃんがいるしなあとぼんやり考えている。
長く旅行にでるときは会社をやめるときだと思っていて、それを思うことで私はまだ麻痺していないと確認しているとどこか思っていて、自分の腹黒さと言うか、なんとも言いがたい自己嫌悪になる。

ちっこのコメントでずいぶんグラグラしていて、かみさまが刺してくれた針みたいだ。考えろとなにかが言っている。