キンモクセイを嗅ぎながら

キンモクセイの香りがすると富山に少しだけ住んでいたときを思い出す。
わたしが住んでいた富山はキンモクセイの街だった。
当時勤めていた会社に突然、あさってから富山出向と言われて、はあ?!と思いつつ、めでたい脳はすぐに日本海はなにが美味しいんだっけ、富山はホタルイカだよね、東映のオープニングみたいな波が見られるかな、とワクワク考えていたのだった。


車で5時間ともっと、トンネルだらけの高速道路を走って走って、カーナビを持っていないので案内表示板と勘で出向先の会社について、路面電車が走っていて、挨拶し、だいたいの説明を受け、荷物が少ないことに驚かれつつレオパレスの鍵をもらってアパートに向かって、散歩に外に出たとたん、キンモクセイの香りが街じゅうにあることに気がついたのだった。
酔うくらい強い香りで、甘ったるくて、好きな香りじゃなかったけど、いわきで嗅いでいたにおいと一緒だなあと思ってすこし安心した。
でも、いわきでもあんなにキンモクセイの香りは嗅がないだろう。富山市はとにかく街じゅうにその香りがあふれていた。
みっちり働くあいだに市場に行ったり、アパートの近所のおばちゃんとおしゃべりしたり、会社の人よりも先に街の人たちと仲良くなった。
仕事以外のどうってことない会話が、〜じゃーね、とか、語尾が伸びる富山弁が好きで、でも真似できなくて、いわき弁と富山弁を交換した。

氷見うどんがとてもおいしかった。
市場のおじちゃんたちはいつも声をかけてくれた。
東映のオープニングみたいな波しぶきは新潟で見ることができた。
のんびりした街で、富山ブラックはあまり美味しいと思わなかった。
貝がおいしかった。
富山にいたころよくしてくれた上司はその後、わたしが会社をやめて何年かした頃、自殺したと聞いた。

キンモクセイの香りをかぐと、富山にいた頃を思い出して、セットになって亡くなったと聞く上司を思い出す。なぜ死んだのだろう。理由は聞かなかった。出社1日目にして怒鳴られた記憶がある。厳しい人だったと思う。

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かおちゃんが、アパートメントに私たちのはじまりを書いてくれた。
あのとき、東京駅近くのカフェで対面したとき、かおちゃんはかけてきて私に抱きついたんだった。
人見知りをするふたりで、あまり目線を合わせず照れながらいろんな話をした。
アパートメントの構想があたまにあってうずうずしていて、話せるとっかかりがあった瞬間ばばばばば、って話をしたと思う。

わたしたちはいつも離ればなれで、かおちゃんは右に行き、わたしは左に行くようなふたりだ。それぞれがそれぞれの人生で、お互いを想いながらそれぞれの旅を続け、たまに巡り合って、話して、また離ればなれになる。
わたしを想いながら旅を続けているひとがいる、ということの心強さをかおちゃんからいつも感じていて、そのことがわたしのお守りになっている。
わたしが倒れてもたちあがれたり、ごはんを食べられるのはきっと、かおちゃんの念が届いているからだ。
あとわたしが途方もなく哀しくなるくらい、心が健康だということもあるのだろう。


地に足がついたことがしたい。
ゆうへいに企画の話をしたら乗ってくれた。
とっととはじめようと思う。