話す

先日。弓ちゃんからSMS。

弓 「土曜日 由香さんとごはん行くけどいくけ?」

はる 「いくいくー」

弓 「よっしゃ ほーしょーほーしょー」

はる (なんで鳳翔?!)

由香さん・弓ちゃん・私で女子なのに一次会なのにと疑問を抱えつつ、いつもの「みんなの深夜食堂」鳳翔へ。その時間、18時。

ミーちゃんに驚かれた、「今日ははやいですねー」って。そうだよね。

 

鳳翔でミーちゃんの顔を見ると無条件に安心して、つい声の大きさも「深夜枠」になる、つまり大きくなる。

前にもつぶやいたけれど、大人にも「津波ごっこ」は必要だと思ってて、弓ちゃんが途中道に迷いつつ吐き出す言葉は、言いづらくも真実であり

さまざまな「大人」が抱えるであろう「疑問や想い」は言いづらいと思わせるような風潮には、とんでもなく疑問を感じている。

原発放射線においてのトラウマは、どうもデリケートかつ、ハリーポッターで言うところの「名前を言っちゃいけないあの人」感が漂う。

線量うんぬん、風評被害でどうの、という内容でなく(それも大切だけれども)、もっと心のほうの話だ。

みんな痛い思いをしているからこそ、もっと(話したいと思うのならば)話すべきだと思う。そもそもまだ現在進行中なのだから。

先日、こんな記事を見かけた。

「原発事故による最大の被害は、子どもの放射線トラウマだと確信」(亀田総合病院 小松秀樹)

これは、あくまでこの医師のいち意見であるし、さまざまな意見があるとは思うけれども個人的には共感する。

で、子どもに心配させまいと 受け取り もがく、その大人の葛藤や傷を痛みを、我慢せずに吐き出したほうが、その痛みは少し和らぐのでないかなと思っている。

何度も何度でも書くけれど、日常に暮らす大人だって充分すぎるほどに傷ついているし、福島だけじゃなくても毎日じゃなくても生きることが痛い。

だから私は、広く受け止めて、「わかるよ」と言い続けようと思っている。

ちょっとや そっとのことで傷ついてばかりではいられないけど、そんなのわかりきっている話でさ。

根が深い問題だし、簡単に言うなよって思うかもだけれど、そんなに みんなは人は、いつもタフでばかりでもいられないと思うから。

鳳翔の帰り道、上を見上げたら東横イン。ずいぶんと細長いんだな。気が付かなかった。