花も緊張するのだろうか
この花たちの 色のたち具合、自由に咲かせている感じ。方向もバラバラなのにどうしてこんなに統一感が出るのだろう
緊張なんて知らないように咲いている。
ある女性と会った。
初めてお会いする人だったし、人見知りだから そのときまでものすごく緊張していて、駅のデッキを何度も往復したり写真を撮ったりした。メールしたり、iphoneから toe を聴いたりした。
誰かに初めて会うときや、なにか大きなことや、人前に出るときなどは いつもこうだ。どきどきしてなにも手につかなくなる。指が細かく震える。
「20分まえ行動とか当たり前」の父に育てられ、「いや、世間はそんなに早くない」と実感し知っているはずなのに、哀しい習慣で無駄に早く着いてしまい、結果、余計自分に緊張する時間を与えてしまう。
でも人見知りしなくてすんだ。デッキの向こうから声をあげた彼女は、思っていたよりも頬は柔らかそうだったし、まなざしは深く細かった。同じだと思った、この人も透明なフィルターをかける。
後から聞いたらやはり人見知りだったとの事、やっぱりなあと思った。
仕事はものすごく忙しそうだけれど、基本的に深くゆっくりとした人なのだろう。
そして深いところまでばっさりとこない優しさもあり、お互いのフィルターを壊すことなくそっといられた。
時間がかかるのだ、私はいつも。あけっぴろげになるまで、とにかく時間がかかる。
いろいろなお店をめぐり、ふふと笑う夜。
会話における沈黙を、わたしはあまり怖がらない。
なんとなく、一瞬落ち着くのだ。とめどなく話すのはどうしても疲れてしまう。息継ぎがしたくなる。
そして、いま私はまた違う緊張を味わいつつ、日記を書いている。
もっとくっきりとしたいと、いつも思う。
あと、四角い緊張をうまく緩和して丸く形にできるこころが欲しいなと思う。