人間臭すぎる人を歌った、うつくしく、たゆたゆと光をはなつ。もうひとつの讃美歌。

友人に「和訳よんでみて」と言われ、改めて眺めた。

和訳の切り取りをした。こうある。

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寂しすぎる夜や
道が長すぎてあきらめたくなる時
愛は幸運な人や強い人にだけに
与えられると思った時
どうか覚えておいて
冬の厳しい寒さを
雪の下で耐えている種が
太陽の愛を受けて
春にはバラの花を咲かせる事を

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どうしようもない不安や孤独に苛まされ、掃いて捨てたくなるような夜もすべて仕方なく受け止め、できれば愛し、眠れないならそのままじっと見つめ待つしかない

それでいいんだと思う。ほかに何もしなくても。できないし。

闇から現れる光はすべて光だし、同じように見えるその輝きは変化をし、しかし はなたれていることに変わりはない。

薬や酒におぼれたジャニスも、歌うことをやめないことで、衝動をもって表現し、自分のなかにある細くまとまった弱さを囲い、逃げながらも待っていたのだと思う。

うつくしいことは、アルミパンのように ぼこぼことしているような気がしてならない。

そのかたちは、いつか消えるものであっても。

カトリックでもなんでもないけれど、キリストの経典のこの言葉だけには、どうしてもぐっときてしまう。

「人の日びは草のよう 野の花のように咲く。風が通り過ぎると消え去り、その場所を訪ねても、だれも知らない。」(詩編103)

誰も知らないけれど、誰かがはなったその光は誰かにあたり、そうやって紡がれていく。

想いや、情熱。のこされるもの。たどったり、落し物をひろうこと。ほろほろと流れるなにか。