やっこちゃんとお茶

S先生と映像のことで打ち合わせがようやくできて嬉しかった。会いたかったひとだし、K監督の映画についてツイートを見るたびにはやく監督に連絡したいとじりじりしていた。
動きたいときに動けないのは気持ちが焦って職場でもせかせかしてしまうので気をつけたい。
大切なことは優雅にやることだ。

S先生といろいろ話せた。予想通り、面白くて正直なひとだ。自分と向き合うことについてとても真摯なひと。お酒を飲む日が楽しみだ…!

帰り道にやっこちゃんがわたしを見かけたと電話が来て、お茶をする。
いろいろ話して、はなちゃんの近況と小さい頃の話をする。
そう、はなちゃんは独特な子どもだった。そしてそのまま天真爛漫に育ってくれていて嬉しい。
ものすごい美人だし、あの子の目の輝きや言いっぱなしなところ、自分でなにをやっているのかさっぱりわかってないけれどとにかくやりたいことを最優先でってところがとても好きだ。
なにより、囲いがない。目の前にいる相手がダンスの師匠だろうが、子どもだろうが、耳が聞こえなかろうが、目が見えなかろうが、すこし理解するのに時間がかかる子であろうが、はなちゃんは囲いがないから、そういうもんなんだろうと受け取って接する。すべて公平にやっていることに、気が付いていない。とにかくはなちゃんにとって目の前にいるひとは、そのひとなのだ。ただそれだけ。
その感性の尊さよ。
やっこちゃんから受け継いだ、あの子の才能だと思う。


やっこちゃんは「わたしとあんたは本当に似ているから、なにがあるかわからないんだから」と笑った。
考えてみたら不思議な縁だ。チボで働いていたときからだから、もう18年の付き合いになる。いつもしんどいときに偶然会って、なにも話さないのにヒントをくれたり、する。

それでいいんだよ、と言ってくれる。

「よかった、あんたが相変わらず変なことになっている、あたしもそうだし、そんな話を聞くと安心するよ、そうでなきゃあんたとあたしじゃない」と笑ってくれるのは、やっこちゃんくらいだろう。
早口で小走りで、目をぐるぐるさせて話すゴッド姉ちゃん。

明日からまた怒涛。がんばらねば。

いわき総合高校演劇部のこと

去年、いわき総合高校演劇部の演劇をはじめて観劇した。
彼らが抱えている想いを、ドッジボールみたく胸で受け止めた気がして涙が止まらず、突き動かされるようなものをからだの中に感じた。

演劇に縁などなかった。高校演劇なんてもう横目だ。

なのにあの感覚はいったいなんだったのだろうと今でも考える。
私の高校生活はバイトにはじまってバイトに終わる生活だったと思う。学費もそれでまかなっていたし、それが当然だと思っていた。なにより働くことが勉強するより面白かった。
コンビニのバイトはいろんな人が来る。
精算前の牛乳を店の中で飲み干して空のパックを持ってくるおばさんとか、レジの目の前にあるカリカリ梅を万引きして毎回つかまっては許されてしまう青年、バイトの私たちにクリスマスケーキひとりあたま2個買ってくれと言う店長、夜になると徘徊しにきて保護される痴呆のおじいさん。

そんな社会をみて、高校生活そのものは半端に送って、商業高校なのに簿記検定は結局取らず、かわりに英語検定(バイトで役に立つかもしれないから)を取って許された高校生だった。


早弁し早退してまでバイトに励む高校生活を送ってしまい、その延長線のまま労働生活がつづく私が高校の演劇部にハマるわけである。
というか、高校演劇ではなくて、総合高校演劇部の学生たちなのだ。なんていうか、かわいいのだ。

そんな彼らに自分たちの人生をまざまざと見せられてしまい、思わずわが身を振り返ってしまった。

本当は英語を勉強したくて進学したかった。
でも叶いそうになかったし、気がついたら3年の卒業で、わたしは高校生活というものにあまり思い出がないまま卒業を迎えた。
面白かったのだ。それでも。
昼食代を節約する為にみんなでホットプレートを買って焼きそばを焼いてその日に没収されたり、教室は学校一きたなくて授業をつぶして掃除したり、クラスの子達とは仲が良かった。
でもそこに熱いものはなくて、わたしはどこかで熱を欲していたのかもしれない。



彼らのこれからがいっぱいつまった演劇はわたしにとってとてもまぶしい。
いわき総合高校演劇部の「CUQP」はエチュードからはじまったそうだ。
アドリブから、人生のひとかけらをつむいで構成され演劇になっている。

ある子は母子家庭から父子家庭になり、ある子はお兄さんのおさがりの服がイヤだ。
ある子は津波で家を流され仮設で暮らしながら恋をする。
ある子は富岡から避難を繰り返し、いわきの同級生に溶け込めないし、ある子は自分の馴染んでいた景色が震災後変わっていくことに拒否反応を起こす。

舞台の上でいろんな感情や人生が交差し、みんなで振り返り、話をして笑い、駆け回る。
わたしには舞台が彼らにとっての「心の避難所」に見えた。抱えているものをそこに置く避難所。
そしてわたし自身の人生や震災を振り返り、向き合うきっかけになった。


なにより、彼らの伸びやかでまっすぐなところが大好きなのだ。
舞台上で決して「明るく健やかに」だけでなく、自分のおなかのなかまで表現する。イやな部分もきちっと見せる。
見せながら、解決できないことも抱えつつ、えいっと突破して彼らは進む。



彼らが届けてくれる未来は、決して高校生だけがもつ若さの未来だけではないと思う。
同年代の子たちだけでなく、なにか違和感がありながらしかし日常に忙殺され、どこか醒めた目になってしまっている大人たちに観てもらいたいと思うのだ。

「CUQP」は私たち大人の忘れ物を、取りにいかせてくれるきっかけになるような演劇なのではないかと思っている。




そんないわき総合高校演劇部「CUQP」自主公演のお知らせです。
現在の彼らでしか観ることができない「今」をぜひ。

今回が最後です。前のめりでお勧めです。

2月18日(木)19日(金)
いわきアリオス
18:00開場、18:30開演
予約不要、入場無料


いわき総合高校演劇部twitter

https://twitter.com/iwaki_ahiru013

近況

さっき友人に電話したら「ぜんぜん声が聞こえない」と指摘され、思い起こしてみたところ昨日、制服のゆるいポケットにiphone突っ込んだまま上司にスクワット指南している最中、勢いよくiphoneがポケットから飛び出して上司が食べていたたこ焼きのマヨネーズ部分に縦に刺さったのを思い出しました。

あわてて拭いてOK!くらいに思ってたんだけども、どうやらスピーカー部分やっちまったらしい。

たしか前回もこういう感じでiphoneスピーカー壊れて、常時テンパった暮らしをしていた私はなぜかブラックベリーを契約、通話はそれで、ネットはiphone(そのためにXiも契約)という携帯3台つねに持ち歩く謎の暮らしを2年していたので、今回こそはまっすぐにドコモショップへ行き、補償使ってあたらしいiphoneと交換してもらおうと固く決心しています。

あと、生存確認をいろんな方向から頂いていて、心配かけてしまったのを反省しツイッターのアカウントとりあえず開けました。
開けるやいなや、親友みっちゃんから連絡もらって、もぞもぞ言ってたら「つまらんこだわりはなくして楽しみたまえ」と言ってくれてありがたかったです。


ご連絡くださっている方々ありがとうございます。

20151002


海のむこうになにがあるって?へいだよ。へいの向こう側?んな先のこと考えんじゃねえよ、思考ストップさせんだよ。(立川談志 やかんより)

海からみたら、ほんとに海のむこうにへいがあることになる。ってくらい高い。

キンモクセイを嗅ぎながら

キンモクセイの香りがすると富山に少しだけ住んでいたときを思い出す。
わたしが住んでいた富山はキンモクセイの街だった。
当時勤めていた会社に突然、あさってから富山出向と言われて、はあ?!と思いつつ、めでたい脳はすぐに日本海はなにが美味しいんだっけ、富山はホタルイカだよね、東映のオープニングみたいな波が見られるかな、とワクワク考えていたのだった。


車で5時間ともっと、トンネルだらけの高速道路を走って走って、カーナビを持っていないので案内表示板と勘で出向先の会社について、路面電車が走っていて、挨拶し、だいたいの説明を受け、荷物が少ないことに驚かれつつレオパレスの鍵をもらってアパートに向かって、散歩に外に出たとたん、キンモクセイの香りが街じゅうにあることに気がついたのだった。
酔うくらい強い香りで、甘ったるくて、好きな香りじゃなかったけど、いわきで嗅いでいたにおいと一緒だなあと思ってすこし安心した。
でも、いわきでもあんなにキンモクセイの香りは嗅がないだろう。富山市はとにかく街じゅうにその香りがあふれていた。
みっちり働くあいだに市場に行ったり、アパートの近所のおばちゃんとおしゃべりしたり、会社の人よりも先に街の人たちと仲良くなった。
仕事以外のどうってことない会話が、〜じゃーね、とか、語尾が伸びる富山弁が好きで、でも真似できなくて、いわき弁と富山弁を交換した。

氷見うどんがとてもおいしかった。
市場のおじちゃんたちはいつも声をかけてくれた。
東映のオープニングみたいな波しぶきは新潟で見ることができた。
のんびりした街で、富山ブラックはあまり美味しいと思わなかった。
貝がおいしかった。
富山にいたころよくしてくれた上司はその後、わたしが会社をやめて何年かした頃、自殺したと聞いた。

キンモクセイの香りをかぐと、富山にいた頃を思い出して、セットになって亡くなったと聞く上司を思い出す。なぜ死んだのだろう。理由は聞かなかった。出社1日目にして怒鳴られた記憶がある。厳しい人だったと思う。

********

かおちゃんが、アパートメントに私たちのはじまりを書いてくれた。
あのとき、東京駅近くのカフェで対面したとき、かおちゃんはかけてきて私に抱きついたんだった。
人見知りをするふたりで、あまり目線を合わせず照れながらいろんな話をした。
アパートメントの構想があたまにあってうずうずしていて、話せるとっかかりがあった瞬間ばばばばば、って話をしたと思う。

わたしたちはいつも離ればなれで、かおちゃんは右に行き、わたしは左に行くようなふたりだ。それぞれがそれぞれの人生で、お互いを想いながらそれぞれの旅を続け、たまに巡り合って、話して、また離ればなれになる。
わたしを想いながら旅を続けているひとがいる、ということの心強さをかおちゃんからいつも感じていて、そのことがわたしのお守りになっている。
わたしが倒れてもたちあがれたり、ごはんを食べられるのはきっと、かおちゃんの念が届いているからだ。
あとわたしが途方もなく哀しくなるくらい、心が健康だということもあるのだろう。


地に足がついたことがしたい。
ゆうへいに企画の話をしたら乗ってくれた。
とっととはじめようと思う。

俳句 秋

今朝、三浦君がメッセージで俳句を送ってきてくれたので返句。


そのひとと手を繋ぎけり秋の水


長き夜にその手のぬくみ光りをり


風邪をこじらせている。
のどと、はな。名村さんに「鬼の霍乱」と言われ、バカは風邪引かないのにねって言われなくてよかったと思いました。
オーガニックではないけれど、酒と煙草以外、ふだんケミカルを体に入れないので抗生物質におなかがやられている。意外とデリケートだった。あ、味の素いれてるか。好きです味の素。ただ抗生物質にやられてるだけかもしれない。たぶんそう。

からだかこころが不安定なときって不安定がまた連鎖してくるものだけれども、物事はひとつの面だけではない。

わからなくなったら鷹の目。

熱を出している間に、あたらしいプロジェクトを思いついてさっそく動いている。
すこし原稿をためる。ブローニーのポジも。

20150914

出張で仙台にきていたひろしが、群馬への帰りしな、いわきによるというのでごはんをたべに湯本おかめに行った。
ずいぶん過酷な現場だったらしく、現場で解散する前に親方はひろしを泣いてねぎらったそうだ。
ひろしは目が少し柔らかくなった。腕が太くなって言うことも大工らしくなってきたと思う。
大工らしい言いっぷりよく知らないけど。
わざと大工らしい言い方をしなくなった。自然と身についたものがあるのだろうと思う。
次回はねんねこワンゲル部としてお山にいきたいものだ。

ひろしがひとしきり現場の過酷さを話したあと、わたしの近況を話したのだけど、話しながら自分でも気がつかなかったことに気がついて、じんわりあたたかい気持ちになった。
少し前にツラいことがあって、嫌だったけれどその人に話して預けて託すしか方法が見つからなくて、やさぐれてただツラいだけの状態になりそうだったのだけど、そうか、あのことがあってから、わたしはあんなにしんどい事を預けたのに、それでもずっと私のそばにいてくれている、と。
言葉にすることなく行動で示していてくれているのかもしれないと思ったのだった。
わたしに大地や草原を見せてくれて、心に竜巻を飼っている。

ひろしが、はるえずいぶん雰囲気がかわってなんか俺 嬉しい、とても幸せそうだ、くつくつ体のなかから笑ってるだろって言ってくれて、えへへと思った。

これから東京。
だいすきなステキング名村ねーさんと夜遊び。